またもや朝日新聞の記事から。朝日新聞に興味をそそる題目がいくつもあったので、このあと数回は朝日新聞の記事を見てのコラムになると思う。
特に今回はコラムを読んで、コラムを書くという何とも不思議な感じだが、私自身が最も関心を持っている分野であったので書くことに決めた。
「ネットに『命』吹き込む」という題で書かれていたそのコラムは、ある男の子を一人主人公に挙げていた。その男の子はひきこもりで学校にも行かないが、友達は大勢いるという。
ではなぜ外に出ようとしないのか。何がいやで外に出ないのか。友達がいて、楽しく過ごせるのであれば、それでいいじゃないか。私はそう思った。しかし、続きの文章にはこうあった。
「ネットの中のハナシ相手だ。文字だけのコミュニケーション。互いに顔も本当の名前も知らない。」
これは、ラジオ番組の「学校掲示板」と名付けられたBBSで、日夜「心の声」が書き込まれるという。BBSに書き込んだリスナーと、番組で電話をつなぎ、「肉声」を引っ張りだすらしい。パーソナリティとだけでなく、書きこんだリスナー同士を直接会話させることもあるらしい。そして、私はそのあとに書かれていた文に注目した。
「その瞬間、ネットでは雄弁だった子たちが、ドキマギしてなかなか話せない。」
思ったとおり、といえばそれまでだが、やはりそうなのか、という一種落胆に似たような気分になった。ただ、今まではネット上の交流だけだったものが、こうして実際に音と音とで交流するまでになったことはものすごい進歩と言えるし、評価できることだと思う。
以下引用。
「メッセージ読んだよ。元気出してね。」
「ありがとう。そっちも」
確実に命の鼓動が芽生える。シーンを体感したリスナーたちの書き込みも生きた言葉に変わる。
ネットは今の10代の遊び場だ。だからこそ、そこに「教室」を作った。本当のつながりを教えるために。
ラジオという「生の声」。虚構に、命の息吹を流し込む。
引用終了。
「虚構に…」という文章を見て私は、世の中の大人もその点にしっかりと気付いているのだな、と思い安心した。やはり、ネット上における文字だけの交流は、現実世界ではない。相手の感情もの何もあったものじゃない。そこに存在するのは自分だけだ。いや、自分自身すら存在しないかもしれない。
しかし、「本当のつながり」は音だけなのか。そうではないだろう。やはり「現実の声」でコミュニケーションをとるようになった進歩は、認めるべきだが、実際に同じ“場”においてコミュニケーションをとる、ということをやってみたらどうだろうか。
もちろん社会に出たら、音だけのやり取りもあれば、文字だけのやり取りもある。しかしそれらのやり取りは、同じ“場”でのやり取りがしっかりと出来る人には、できることだ。だが、逆は違う。
現実世界で生きていくためにはやはりface to faceというワードがとても重要なのだ。そのためには、今回のラジオの「学校」ではない、もっともっと良い方法があるはずだ。それが、実際に会って会話することなのか、それとも別の方法なのかはわからない。ただ一つ言えることは、コミュニケーションスキルは体験して得るものである、ということだ。